【服飾史】服装で権力・身分を表すようになったのはいつから?


【服飾史】服装で権力・身分を表すようになったのはいつから?


十二単

最近読んだ本に、中世ヨーロッパでは「高級な生地」の服を身に付ける事により、身分の高さを表したと書いてありました。
これをきっかけに日本でも同様の事があったのか気になり、調べてみました!

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見た目で権力や身分が分かる!?衣服と身分の関係

以前にも紹介した「文様の博物誌」という本に、服装に関する記述がありました。
要約すると、ギリシャ神話の神々は高級な生地を多く使う事により、神威を表現していた。これは中世ヨーロッパに貴族も同様だったそうです。

確かに、ギリシャ神話の神々の服装はシンプルで文様が入っていません。
カラフルな彩りもありません。しかし、神聖さや高位を見事に表現されていますよね。

装飾ではなく生地で身分を表す。これは日本でも行われていたのか気になります。

という事で、日本の服装と身分について簡単に調べてみました!

縄文、弥生時代の服装

弥生時代の服装については、中国の「魏志倭人伝」に記述があります。
それによると、タトゥーをしており、簡単な装いだったようです。
布の真ん中に穴を開けて、被る形式とされています。貫頭衣と呼ばれ、稲作民族の特徴的な服装でした。

縄文時代は、お金も争いもない時代と言われているので、身分差はなかったのではないかと思います。
※縄文晩期には、「集団の争いの痕跡」が発掘されていますが、国内の争いなのか他国による襲撃なのかは定かではありません。

弥生時代には、身分差が生じていたようで、弥生ミュージアムに服装に関する記述がありました。

こうした想像に具体的なイメージを与えてくれるのが、吉野ヶ里遺跡の甕棺墓から出土した絹織物です。この甕棺墓は富裕層に属する人物を葬ったものと考えられ、布には袖を縫い合わせたと考えられる部分が残っていました。これにより、貫頭衣とは構造が異なる袖付きの衣服を弥生時代の富裕層が着用していたことが明らかになりました。

上位身分の人の服装

なんと弥生時代には既に、生地で身分差を表現していたのです!
ちなみに、勾玉(まがだま)などを装飾として身に付け、ファッションを楽しむことは縄文時代に既に行われていました。
弥生人
上記リンク先の弥生ミュージアムの記述によると、

  • 富裕層の衣服は、庶民と構造が違う
  • 生地が違う
  • 色が違う

事が分かります。

上位身分の人々の正装は袖付で赤や紫に染められた鮮やかな絹であったと思われます。

上位身分の人の服装

「紫」これは、飛鳥時代の冠位十二階でも最高位にあたる色です。
優美で希少な紫はこの頃から位の高い人の色だったのですね。

古墳時代の服装

弥生時代の流れを受けて、古墳時代はどうだったのでしょう。
古墳
古墳時代は豪族と呼ばれる権力者が生まれて、身分差が明確に表れている時代。古墳時代の服装についても「百舌鳥・古市古墳群」のサイトで記述を見つけました。

服装にもは流行があったの?

という質問に対し、以下の回答があります。

金メッキの耳かざりやベルト、冠などは、朝鮮半島(ちょうせんはんとう)から伝わり、大変流行(はや)りました。
もちろん、当時の人がみんなふだんからこういうものを身につけていたとは考えにくく、こうした新しいファッションは、おもに、自分の古墳を造れるようなえらい人のものだったと考えられています。
当時めずらしかった金のアクセサリーをもつことは、その人の力を見せつけるのに役に立ったことでしょう。

もず・ふるいちこふんぐん こどもQ&A(第5回)

アクセサリーによって権力を表している事が窺えます。
上記リンク先には実際の写真が掲載されていますが、今見ても豪華。細かな細工が施されています。現代でも売ってそうなものが、古墳時代に存在してたとは驚きです。

弥生も、古墳時代も「文様」に関する記述はありません。
更に時代を進めて聖徳太子の「飛鳥時代」を見てみたいと思います。

冠位十二階による身分制度があった飛鳥時代

小学校でも習った飛鳥時代の大きな特徴、冠位十二階。
これは色によって身分の差を明確に表したものでした。
紫色が最上位にあたります。
冠位十二階
冠位十二階は色は勿論、生地も指定があり、自由な服装は許されませんでした。文様に関する記述がまたも見つからないので、文様よりも色に重きを置いた時代と言えそうです。

奈良・平安時代と有職紋様

奈良時代に中国から伝わり、平安時代に独自の発展をとげた有職紋様。
ここで、文様の大きな特徴が表れます。
平安時代と言えば、十二単。十二単は、かさね色目と呼ぶ、色彩表現豊かな服飾文化が栄えました。
かさね色目については過去にも記事を書きました。

平安時代の女性用装束である「十二単(じゅうにひとえ)」は季節に応じてさまざな色の袿(うちき)を重ねます。美しい色の袿を重ね着して、ひとつの装束を完成させる・・といったイメージです。

十二単の襲(かさね)色目をweb制作に取り入れてみる

十二単
色を楽しんだ服装ですが、文様も発展と遂げています。

有職とは、平安時代の宮中の儀式や行事に関する研究者や学者を有識者とよび、その有識者たちが着用していた衣服の模様が有職模様であったことから、こうよばれます。有職文様には、鳳凰(ほうおう)紋、雲鶴(うんかく)紋、立湧(たてわく)紋、菱(ひし)紋などがあり、格調高い文様として着物や帯などに用いられています。

有職(ゆうそく)文様

有職紋様は誰でも自由に取り入れる事ができたわけではなく、文様によって決まりがあるものもありました。

よって平安時代の服装は「生地」「色」に加わり「文様」で身分を表していた事が分かります。これまでの時代の流れを汲んで装飾品にも違いがあった可能性も。

まとめ

衣服による身分の証明は、弥生時代には既にあった事が分かりました。
時代が流れるにつれて、服装に変化はありますが、生地へのこだわりは変わらずあったと言えそうです。
これは現代でも同じ。富裕層の人達がお高い生地の服を着ていますよね。

文様について明確に残っているのは「平安時代」。
平安時代には有職紋様という優美な文様を取り入れた服装をしていました。
文様と服装の関係については奈良時代にもあったのかもなと思いますが、その辺はまたの機会に調べたいと思います!

今回は平安までですが、江戸時代には奢侈禁止令として庶民派贅沢な服装を禁止されました。
古代~平安は富裕層のこだわりが窺えますが、江戸時代は庶民の服装が抑圧されている。その制限の中から新たな流行が生まれたりしているのも興味深いです。

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