江戸時代に役者文様として流行った「構わぬ(鎌輪ぬ)」という文様をご存知でしょうか。
七代目市川団十郎が身に付けた事で流行ったとされる柄です。
この「構わぬ」、一体何を構わなかったのでしょうか・・・?
“やんちゃな人達”が好んだ「構わぬブーム」
構わぬ(鎌輪ぬ)とはこんな文様。
鎌+輪+ぬ=鎌輪ぬ=構わぬという意味。・・・ダジャレ!?
実は日本の伝統文様にはダジャレ要素が盛り込まれたものが多くあります。特に江戸時代は判じ絵などのダジャレ文化が流行っていました。
市川團十郎が流行らせる前にもこの「構わぬ文」を身に付けた人々がいました。
それが町奴です。
町奴が好んだ構わぬ
町奴とは、簡単に言うと町人身分のやんちゃな人達の事です。
今でいうヤンキーってとこでしょうか。派手な格好を好み、集団で町中を横行していました。
この町奴が好んで身に付けたとされるのが「構わぬ」。
彼らは徒党を組んだ仲間で行動していました。その時に構わぬを着て練り歩いていたと。
不思議なもので今も昔も、やんちゃな人達は服装に仲間意識を見出すのですね。
ヤンキー、チーマー、暴走族など、彼らならではの服装を好む傾向があります。(チーマーや暴走族がまだ存在しているのかは分かりませんが)
町奴は何を構わなかったのか??
派手な服装で歌舞いていた町奴達、彼らは何を「構わなかったのか」。
それは・・・俺たちのやりたい放題だ!構うんじゃねぇ!!な意味の構わぬだったとか。(※諸説あり。後述。)そのまんまと言えばそのまんまですね。暴走族の人たちが、背中にお気に入りの言葉を刺繍する文化に通じている気がします。「天上天下唯我独尊」的な。
現代のやんちゃな人達の多くは10代~20代前半で卒業するでしょう。しかし、町奴は大人になってもやんちゃなままの人もいました。
そして飽きれた奥様が「構わぬ」に対抗し、「構います(鎌ゐ〼)」文を使ったと言われています。
なんともユーモアのある話です。
粋な男の心意気を表した「構わぬ」
町奴が好んだ後、一時構わぬ文様は衰退します。しかし、歌舞伎役者の市川團十郎が身に付けた事により、再びブームが起こります。細工物籃縞評判(さいくものかごのうわさ)という演目で市川團十郎が、浪花の次郎役で身に付けています。
また、火消(現代で言う消防士)の人達もこの文様を身に付けています。彼らが身に付けた意味としては「水火も厭わず身を捨てて弱いものを助ける」とう意味があります。かっこいい!
江戸時代は火災が非常に多かったとされています。そんな町を守るための強い意志が反映されていたのではないでしょうか。
町奴の扱いは諸説あり
前述した町奴ですが、実は火消と同じく、「自分の命は構わないから~」という意味で身に付けていたとする説もあります。ネット記事だとこちらの説の方が目につきますし、書籍でも見かけます。
ですが、悪事を働いている町奴が「弱いものを~」という意思表明で身に付けるのは若干違和感を感じたので、「構うもんか」説を大きく取り上げました。
土砂降りの雨の中でヤンキーが子猫を抱えている的なギャップ効果で、「弱いものを~」の方かもしれないですけど。とにかく、2つの説があるという事です。
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