文様の歴史第二弾はアイヌ文様。前回の「[文様の歴史]縄文土器に見る日本の文様の原点」で、縄文時代晩期の土器にアイヌ文様に似た装飾がある事が分かり、今回アイヌ文様についてまとめる事にしました。
アイヌ文様の歴史
アイヌ民族=蝦夷(現北海道)のイメージがあるかもしれませんが、歴史を調べると一部の東北でも生活していたことが分かります。これを踏まえると東北の縄文土器にアイヌ文様に似た装飾があるのも頷けます。東北地方にはアイヌ語を起源とした地名が沢山残っているんですよ。
こちらは岩手県で出土した縄文晩期の壺。
公益財団法人 岩手県文化振興事業団 埋蔵文化財センターサイトより引用させて頂いています。
アイヌ民族は、本州との交流があった他、北東アジアのオホーツク文化の影響を受けている事が分かっています。本州で言うところの弥生、古墳時代の事です。余談ですが、北海道は広いので居住地域によって文化や言語に差があったみたいです。「中国は広すぎて地域によっては言葉(訛り)が通じない」という話を聞いたことがありますが、アイヌにおいても同様だったんですね。
また、鎌倉~室町時代には海外との貿易も盛んに行っていたようです。江戸時代には幕府から貿易の自由を禁じられてしまいましたが・・・。
北東アジアの影響を受けたアイヌ文様
日本の文様の歴史を探っていましたが、アイヌ文様は海外の影響を受けていたんですね!
アイヌ文様は「アイウシ」「モレウ」という2つのモチーフの組み合わせで出来ています。
モレウ
アイウシ
ここで、北東アジアの伝統文様について見てみましょう。
参考文献&図版引用:「日本文化の多様性 稲作以前を再考する/ 佐々木高明著」より
アムール川流域のエヴェンキ、ニヴフ、モンゴル、ウリチなどの各伝統文様と共通点がある事がわかります。
貿易を通じて、アイヌ文様にこれらの要素が取り入れられたのでしょう。
アイヌ民族の神紋、家紋
アイヌ民族の間では、自分の家系図を辿った時、一番古い祖先は神様だと言われています。父親が神様で、母親が人間、その間に子供が生まれ、家系図がスタートしているという事です。各家系によって祖先神は様々で、ヒグマ、オオカミ、トド、フクロウなどがあります。その祖先神を表す印として男性は神紋、家紋があります。女性は下紐と言って腰に巻く紐があります。家系によって編み方が違います。父方の祖先神はヒグマ、母方はキタキツネ等、男系・女系それぞれの祖先神があるという事です。この神紋、家紋は父親から息子へ、下紐の編み方は母親から娘へと代々受け継がれています。
- 陸獣神・・・ヒグマ、オオカミ、キタキツネ
- 鳥神・・・ワシ、カッコウ、シマフクロウ
- その他・・・タコ、雷、…等
家紋についてこちらのサイトが分かりやすい例が沢山載っています。
まとめ
アイヌ文様はアムール川流域の諸地域の影響を受けて出来た文様。
アイヌ民族は元々、蝦夷(現北海道)だけではなく、東北の一部の地域でも生活、交易が行われていました。
しかし、歴史背景を見ると、江戸時代あたりから厳しい弾圧を受けており、差別されました。
これは個人的見解ですが、差別的背景により、東北およびその他の本州地域にアイヌ文様が普及しなかったのではないかと思います。明治に入ると、差別は濃くなり、アイヌ文化を広めるどころか和人よりに統合しようと進められました。
「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が国会で可決されたのは2008年。まだ10年も経っていないんですね。この決議も完璧では無いため、まだまだ不便を余儀なくされているかもしれません。しかし、これからはアイヌの文様および文化を残す為の動きが普及すれば良いなと思います。
参考文献
歴史文化が主で、文様は一部掲載でした。今回の記事に興味を持って頂けたのでしたら、「日本文化の多様性」が一番おススメです。日本が多文化国家であることを分かりやすく説明しています。
コメントを残す